Carry-In-Project Tottori

告知

搬入プロジェクト#11 鳥取計画『蛇籠め』 【日時】 2013年2月24日(日)14:00〜(約2時間予定) 【会場】 鳥取市栄町403 旧横田医院 【USTREAM中継】 http://www.ustream.tv/channel/搬入プロジェクト-鳥取計画 【コンセプト】 ツーリズム、オリエンタリズム、地域活性化、まちおこし、アートフェス、公的資金注入…などなどについて思い巡らせモヤモヤする我が脳漿を爆破するために行うパフォーマンス。浮世の理から見て「ムリ・ムダ・ムラ」でしかないはずの芸術に何故だかやたらと「意義」の求められる昨今の風潮を散々コケにするため思いついた方法が「偽祭」。 針ほどしかない特徴を棒ほどに喧伝し観光客を呼びこまんとする世知辛い戦略。土地があって人が生きてりゃどこだって歴史はあるし、それぞれの伝統はかけがえのないもの。だからってそれを無理に飾り立てて商品化し観光客呼び込んでどうすんの。いやちょっと待て、どうせ訴求力不足な特徴=商品しかないんだったら、在りもしない伝統やお祭りでっち上げて愉しんだほうがいいんじゃないか。 それから、地方自治体の興すフェスのケチ臭さ。予算のことじゃないよ。とにかく「ゆかり」重視。県ゆかりの作家、町ゆかりの伝統しか興味ない。そんなにゆかり好きならフリカケでも喰ってろっての。「ゆかり」は三島食品株式会社の登録商標です。 そんなに縁だの伝統だの好きなら捏造してやんよ。都会っ子のツーリズムを刺激するようなのをよ。藁で身を包んだ異類異形が巨大な蛇を運び入れる12年に一度のお祭だ(嘘)。式年遷宮ほどじゃないがソコソコは面白いよ(それはホント)。まあ暇だったら遊びに来なよ。

February 23, 2013 · Leave a comment

模型による検証(3)

コレでほぼ決まりかな。 下からは竹製の支え棒で持ち上げ、上からはロープで引っ張り上げます。 コンセプトは「偽祭」。 捏造された行為としての上演。 というか、上演それ自体は通常の搬入プロジェクトとそれほど違わない(多少変更点はあるけど)。ただし、その後にまとめる資料、記録映像などを嘘で固めて煮詰めて溶かす。これにより、地方でアートイベントを行う際に要請される正当性だの根拠だの(それらはたいてい地域独特の風習を参考にしました〜とか、地域の人達との触れあいを大事にしました〜だったりするのだが)をまとめて地獄に落とす。アートツーリズムなんてのはBull Shitだよ。わかりやすい天然キャラを土地に見出し演出付けて売りだそうとする心根にみんなで唾を吐こう。神は我々の味方だよ。

February 14, 2013 · 1 Comment

想像力

たまたまネットで見つけてビックラこいたがな。 なんじゃこれは。 明らかに過剰だ。 祭りとは 社会を構成するための嗜み慎み…には収まり切らない 剰余を解消発散する場だ、とひとまず定義してみる。 とはいえ祭りも定期的になれば 社会システムの一部となり、 マンネリ感も出てくるだろう。 しかしせっかくの祭り、 もっと、もっと、という気持ちは抑えられない。 それが造形にあらわれる。 剰余は来るべき破綻を求めてじりじりと昂揚する。     山車の、祭りの仮設性がそれを可能にする。 期待された破綻としての異形造形、構造的不安定。 スゴイよコレ。 たとえウソ写真だとしても、 眼にした以上、あとには戻れないな。 ところで そんな日本的婆娑羅系想像力の末裔はここでまだ息づいている↓ 昨今肩身が狭いとは思うけど 頑張って欲しいです。  

January 30, 2013 · Leave a comment

素材について

偽祭(鳥取搬入)衣装案 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 東京都現代美術館で開催中のMOTアニュアル2012を観てきた。 会場に来るのはこれで都合三回目、最初はオープニングの時(バタバタしててちゃんと展示を見られなかった)、次に出展作家田村友一郎さんのトークイベントの時(トーク堪能したけど展示観る時間なかった)、というわけでちゃんと展示を見るために来たのだった。 展示全部に触れるには時間的にも能力的にも無理なので、ナデガタインスタントパーティーによる「Country Roadshow」に絞って。というか、端からコレ目当てで見に行ったのだ。展示の詳細について気になるヒトは適当に調べて下さい。かっこいいカタログも販売開始してたよ。 自分が、とりあえず今の段階で気になっているのは「演出のこと」だったりする。というのも、俺もナデガタと同様、芝居を生業にしていない、或いは、プロ志望じゃない人たちを舞台に上げることがよくあるからだ(プロでも食えない問題はさて置いて)。そうする理由は、演目によって様々だし、そもそも彼らと俺とでは動機や狙いが違うだろうし、一概に比較はできないとは思う、んだけど、まあ、「演劇性」とか「演劇的」って何だよって考えてると、どうしてもその辺り、じゃあ素人って何だよ、というのは気になる所ではある。 (そういえば先日読んだ本では磯崎新がしきりに「建築の建築性」について語ってた) 自分が舞台に素人を引っ張りだした最初の機会は2002年のことで、(いや、正確にいえば大学時代の活動なんて全員素人だったんだけど、たとえごっこ遊びとはいえ、姿勢としては前のめりだったので除外する)これはごくごく短いパフォーマンスだったので素人ゆえの瑕疵も目立たなかったんだけど、ともあれ、狭い会場ならばいわゆる演劇的な訓練を経なくとも、もともとオモロイ雰囲気持ってる人のほうが効果的、という実感を得たのだった。 (今にして思えば、何に対して効果的なんだ?という問題をスポイルしていた) で、コレを契機に、公演規模が大きくならないこともあって、珍獣じみた人間を舞台に上げることに面白みを見出していったわけだが、この戦略(まさに戦いを略していたわけだ)も、昨年KAAT神奈川芸術劇場のデカい空間でやることになって、案の定失敗して、変更を余儀なくされてはいる、ってのは個人的な事情なので措いておく。 「リアル」という言葉がある。んなことはだれでも知ってる。そして「リアル」は、基本的に、肯定的なこととして感想や批評の場で使われる、という風潮はいつから始まったんだろうか。「偶像崇拝禁止!」という、それなりに偉大だと俺個人としては思う人類史上の達成があるんだけど、これがだらしなく崩壊してからの話かな。いや、妄想だけどさ。そんな気はしませんか? 表現の場において「リアル」が肯定的に用いられるのは、おそらく、表現てのはそもそもアンリアルであるからだ、と思う。つまり無理を通して道理を引っ込めるその手つきを称賛している。元来そういうことだったと理解している、というか、したい。 (えらく中途半端だが中断 この項 続く) (続き書いてみる/1月27日) つまるところ問題は「間接性」にある。直接的ならばそれは芸術作品ではないからだ(違ってたらスイマセン)。そのものを提示できないから、別回路を切り開いて再現する。いまここにないものを。「いま」「ここ」との距離感が表現のジャンルや、或いは作り手の志の高さを規定する。そういう意味で近代以降の実験的な試みは、あくまでも実験であって、我々がいずれモノにすべきマスターピースへの準備だと思ってる、タテマエとしてね。ホンネはいざしらず。 演劇において、あるトピックを扱う際に、そのトピックないしは出来事の当事者を連れてきて舞台に出してしまうこと、この功罪を問いたいわけです。というのも、昨日の話ですが観てきたわけで。演出:飴屋法水、出演:いわき総合高校の生徒たちによる演劇公演「ブルーシート」を。 (続く) (続き 1月28日) 読んでくれてる人に全く優しくなくて恐縮ですが、 この項に関連する過去の文章もリンクしておきます。 観光地とは土地の演技である(1) 観光地とは土地の演技である(2)

January 25, 2013 · Leave a comment

地域性 土着性 伝統性

2012.01.23.Kigch 参考文献 ヴァナキュラーから建築を考える バーナード・ルドフスキー『驚異の工匠たち』書評

January 23, 2013 · Leave a comment

logo (still work in progress)

Yasuwo Miyamura, a member of Akumanoshirushi is designing our TITLE LOGO.  

January 21, 2013 · Leave a comment

会場実測記録

PDFファイルはこちら→ yokota_research

January 17, 2013 · Leave a comment