Carry-In-Project Tottori

報告会に向けて補助線を引いてみる

絵画の準備を!」の第一章(純粋視覚の不可能性)を再読したら
最近考えてたことがちょい整理できた気がするのでまとめとく。
報告会の補助線になれば幸いです。

報告会(3/19火曜 19:30~ / 武蔵小山STUDIO4にて)についてはコチラ
http://www.facebook.com/events/515685881803589/?ref=22
http://wp.me/p34Udg-5k

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松浦__いつもいうことですが、理論を組み立てていくとき、一見したところ、二面展開のように見えかねない作業が必要になってしまう。一方で受動性を受け入れようとするのだけれども、一方で自然性を否認しなければならないというように。

岡崎__自然性といわれるものも、受動性とはぜんぜん違う。自然性なんてものはたかが観念なんだから。受動性というのは自分の嫌なものでも受け入れなければならないということなんだな。ときにはむしろ自分が不自然だと思うことを強制されて……しかし、これを積極的に超克してしまうのが受動性だったりする。

松浦__はっきりいえば、芸術それ自体が自然性ではないからね。

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岡崎__受苦性ということでいうと、たとえば鶴見俊輔の『限界芸術論』がありますね。大衆芸術と純粋芸術の両方に対して批判的に、限界芸術いうカテゴリーを掲げるわけです。彼の区分に従うと大衆芸術というのは、基本的にメディアによって操作されたもので、中央集権的に組織された、グリンバーグ的ないい方でいえばキッチュのようなものです。商品として流通しうる、大衆の上から組織されたものであって、下からきたものではない。たとえば、ほとんどの盆踊りが同じリズムを持っていたり、歌詞の内容が同じであったりするように、同じパターン上での他の大衆芸術との記号的差異が重要になってくる……お土産であるとかね。

一方、純粋芸術は、閉じた目利き、アカデミズムのサークルのなかに受け入れられることだけを目的化しているところがある。グリンバーグの『アバンギャルドとキッチュ』でいわれているキッチュとアカデミズムへの批判とも非常に似ているわけです。あるいは岡本太郎がモダニズムと大衆芸術の両方を批判するのとも似ている。

※ 鳥取で人気だった土産物。けっきょく自分もこれを買った。いまどき土産などどこにいっても同じような菓子しか置いてないし、というかネット通販含め流通が高度に発達したせいで名産品はどこにいても手に入ってしまう。ゆえに旅の記念を土産品に求めるならば、中身ではなくパッケージに頼るしかないのだ。これは一体どういうことだろう。結局のところ、旅行者―非旅行者相互に理解しうる記号に証拠を求める限りこの状態から脱することは難しい。

※ ところで土産というのはツイッター上に溢れかえる「感想」にも似ている。ここでも重要なのは記号的に作用する言葉だ。個人的にすぎる体験記は理解されにくく、「あらすじ」「演出手法」「演技の巧拙」など、未体験者でも想像しうるタームに触れつつ扇情的に振る舞うほうが効果としては高い。このような「感想家」並びにその言葉を消費するだけで満足してしまう向きに抗うため、ひどく単純な言葉でしか形容できない演目を、と思ったのも「搬入プロジェクト」や「百人斬り」を考案したきっかけのひとつである。

「アレ観に行ったんだね、どうだった?」「大きなもの運んでた。面白かった」「何が面白いの、それ」「大きなもの運んでるところ」「?」というやり取りを想像しつつ。

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岡崎__例えば「鼻唄」というものがある。鼻唄を歌っているときというのは、人に聴かせるために歌っているのでも何でもない、まったく自然発生的に出てくる。鼻唄を歌うために鼻唄を歌っている。上手い/下手、質が高い/低いというヒエラルキーもなく、いかなる社会的関係も反映していない。そのようなものが「限界芸術」だと。

最終的に鶴見さんが一番可能性を観ているのは宮沢賢治だと思います。賢治の「デクノボー」とか「白象」の例が出てくるんですね。つまり自分のしていることを何であるのか知らない、社会的にどういう意味を持つのか考えることもなく、それを楽しんでいる(中略)そういう人たちを理解する代弁者になるという位置を自らに与えるわけですね。これは柳宗悦が民芸運動のなかで見出した、ひたすら凡夫である無名の工人たちというモデルとも通底するものだと思います。

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搬入プロジェクトについて自分が問題に思ってることのほとんどがこの議論に集約されている。先ず第一に、工事現場の労働者を「パフォーマー」として駆り出し、衆目に晒したこと。次に、(労働者による上演スタイルを一旦止めて)一般参加者向けに開かれたワークショップを催し、コレを通じて上演プロセスを共有していくこと。それぞれ違ったスタイルだが、悪魔のしるし(ないしは危口)という固有名と無名の参加者たち、という非対称な関係は解消できていない。

引用の最後で民芸運動について触れられているのは示唆的だ。自分は以前に「観光地は土地の演技だ」と発言し、それ以後この言葉について考えてきたのだが、現在議論対象として再度注目を集めつつある「ツーリズム」にいち早く警鐘を鳴らしたJ・ラスキンは、同時に後の民芸運動に繋がる「アーツ・アンド・クラフツ」の提唱者でもあったからだ。

再び引用を続ける。

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岡崎__いままで話してきた19世紀的な受苦性のモデルが、あえて社会のなかの空虚な一点……こうしたデクノボー的な自己完結した生、外部への表現を閉ざしたブラックボックスのようなモデル……として実体化され仮設されることによって、芸術運動が組織されていくようなことがあったのではないか、ということを考えるんですね。特に民芸運動や宮沢賢治だけでなく、芸術論のなかにもその手のものがよく出てくる。たとえばピカソにとってのルソー、黒人彫刻、アルトーにとってのバリ島。けれどそれは(注釈)架空の一点として要請された存在だけだったのではないか(中略)つまり一種ユートピア的なモデルとしてそれが措定されている。

松浦__ただ、本当に自己充足するということなどありうるのだろうか。

岡崎__ありえないでしょう。

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岡崎__たしかに芸術にも、構造的に経済活動的な側面があって、未開拓の領域をいかに美術市場の経済のなかに組み込んでいくかという、開拓ないし搾取の歴史はあったと思う(中略)これまで疎外の対象とみなされてきた素人や日曜画家や、さらに凶器に駆られた人の絵であるとか、次から次へと未知の領域を探していくわけです。

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 岡崎__だからエリオットがいってるのは、個人が自己表現しようとすると、当然社会秩序に内属してしまうということになる。結局アカデミズムもしくはキッチュの売名行為と同じメカニズムに内属してしまう。しかし、ゆえに詩人というのは、かえってそれに抵抗せずにその文化の受動性に身を投げた方が、むしろその外部に出られるというようなモデルである。それしか外部に出られない(中略)そういう意味で、文化のなかに無防備に身を投げてしかもその結果をまったく問わない人、それがモデルになる(中略)作品が自律するためには作者から離れなければならない。

松浦__作者の徴、署名があるとだめだと。

岡崎__そういう意味では、民芸運動と抽象表現主義でさえ、理論設定としてそんなに離れていないところがある。ポップ・アートでもフルクサスでもドナルド・ジャッドでも、基本的にすべて共通するのは、むしろ芸術的な問題ではなくて、道徳的な要請に対するある種の戦略的な答えが含まれていることです。

領域外に居る工人たちや無垢な存在を想像し、その代弁者として振る舞うこと。これは美的価値ではなく道徳の問題だと。ここで自分が思い出すのが、マンガ・アニメ文化とこじれた関係を持っている村上隆やカオスラウンジ、バナナ学園など。そして飴屋法水が国東やいわきで上演した作品だったりする。把握が大雑把なのはご勘弁いただきたい。ここで言いたいのは、現在我々は、作品をものするとき美だけではなく道徳にも気を払わねばならない状況にある、ということだ。つまりPC(ポリティカル・コレクトネス)の問題。ロシア革命以後顕在化した、芸術もまた社会のために何が出来るかという問いである。個人的には、西沢立衛が「都市は国家よりも古い」と言ったのと同じテンションで「芸術は社会よりも古い」と言いたい。むしろ両者とも国家や社会を生み出す契機となったもの、と考えたいのだ。

(まだ書こうとしてることの半分くらいだけど出かけねばならないので一時中断)

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This entry was posted on March 16, 2013 by in その他.
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